私が日曜日の午前中に参加している教会の日曜礼拝では、今年、旧約聖書の「創世記」と「サムエル記」からのメッセージが続いています。
とはいえ、牧師も私たちと同じです。8月には夏休みを取り、帰省されることもあります。
今日はいつもの牧師に代わって、静岡県富士市から来られた牧師がメッセージをしてくださいました。
タイトルは、
『必要なことは一つだけ』
聖書箇所は、新約聖書のルカの福音書10章38〜42節。有名な「マルタとマリア」のお話です。
🌧️ 「良い知らせ」の前に届いた、悪い知らせ
「福音」という言葉には、「良い知らせ」という意味があります。
ところが、今日の礼拝の冒頭では、まず心配な知らせがありました。
千葉県のかずさにある教会が、集中豪雨によって床上10cmほどの浸水被害を受けたというのです(参考:クリスチャン新聞【速報】)。
2026年のお盆の時期を直撃した千葉県の集中豪雨。その前日には台風の影響もあり、各地で極端な天候が続きました。
そんな話を聞きながら、エアコンの効いた部屋に集まり、いつものように礼拝できることは、決して当たり前ではないのだと思わされました。
災害がいつ、どこで起こるか分からない時代です。日頃から備えについて考え、私たち自身も対応する力を身につけていく必要がありそうです。
📖 福音とは「良い知らせ」
さて、福音書が伝える「良い知らせ」とは何でしょうか。
それは、イエス・キリストが私たちの救い主となってくださったという知らせです。
新約聖書には、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネという四つの福音書があります。その中でもルカの福音書では、イエスが人々とどのように関わり、愛をもって接してくださったのか、その姿が生き生きと描かれています。
今日のルカの福音書10章38〜42節は、有名な「マルタとマリア」の場面です。
🏠 イエスを迎えた二人の姉妹
私たちは、周りの人たちと助け合いながら生きています。
しかし、考え方も性格も人それぞれ。まさに十人十色です。歩んできた人生も違います。
神は一人ひとりをユニークな存在として造られました。
ところが、その「違いを受け入れる」ということが、なかなか難しいものです。
イエスが、エルサレムに近いベタニヤという村を訪れたときのことです。
マルタという女性が、イエスを自分の家に迎えました。
マルタは大切なお客様であるイエスをもてなそうと、一生懸命に働きます。
一方、姉妹のマリアはどうしていたのでしょう。
マリアはイエスの足もとに座り、イエスが語られることばにじっと耳を傾けていました。
😠 「いつもするのは私。あなたは何もしない」
一生懸命にもてなしをしているマルタ。
しかし、忙しく動き回っているうちに、だんだん心に余裕がなくなってきます。
ふと見ると、マリアはイエスの足もとに座ったままです。
「どうして私だけが働いているの?」
そんな不満が生まれたのでしょう。
そして、その怒りはついにイエスに向かいます。
「マリアが私だけに仕事をさせていることを、何とも思われないのですか?」
「いつもするのは私。あなたは何もしない。」
これは、私たちの日常でも起こりそうなことです。
家族でも、職場でも、教会でも、自分ばかりが頑張っているように感じると、不満が生まれます。
そして怒りは、たいてい良い結果をもたらしません。
❤️ 「マルタ、マルタ」
そんなマルタに、イエスは本当の解決を示されます。
「マルタ、マルタ、あなたはいろいろなことを思い煩って、心を乱しています。」
そして、必要なことは一つだけであり、マリアは「良いほう」を選んだのだ、と教えられました。
ここで印象に残ったのが、
「マルタ、マルタ」
と、イエスが名前を二度呼ばれたことです。
これはマルタを厳しく叱りつける言葉ではなく、愛情を込めた呼びかけなのだと教えられました。
もちろん、食事を用意し、イエスをもてなすことが悪いわけではありません。それも大切なことです。
問題は、たくさんのことに心を奪われ、本当に大切なものが見えなくなってしまったことでした。
🌿 マリアが選んだ「良いほう」
私たちの日常は、小さな選択の連続です。
今日何を食べるのか。何時に出かけるのか。何から仕事を始めるのか。
そして、特に大切なことを決めるときには、立ち止まってよく考えます。
マリアは、イエスの足もとに座り、御言葉に耳を傾けることを選びました。
主の足もとで、御言葉に聞き入る。
それが大切な姿勢なのだと教えられました。
しかし、これが簡単なようで難しい。
仕事、家事、スマートフォン、メール、ニュース……。私たちの周りには、注意を引くものがたくさんあります。
忙しい毎日の中で、静かに聖書を開き、集中して御言葉に向き合う時間を持つことは、意識しなければなかなかできません。
だからこそ、「何が一番大切なのか」を考える必要があります。
⛳ マヨネーズの瓶とゴルフボール
先生は最後に、「マヨネーズの瓶と二杯のコーヒー」というお話をしてくださいました。
大きな空っぽのマヨネーズの瓶があります。
まず、その瓶にゴルフボールを入れていきます。
次に、ゴルフボールの隙間に小石を入れます。
さらに、その隙間に砂を入れます。
これでいっぱいになったように見える瓶に、最後はコーヒーを注ぎます。
ゴルフボールは、人生で「これだけは大切にしたい」という最も重要なものを表しています。
小石や砂は、それ以外のさまざまな事柄です。
もし最初に砂をいっぱいに入れてしまったら、どうなるでしょう。
あとからゴルフボールを入れる場所はありません。
つまり、入れる順番が大切なのです。
☕ どんなに忙しくても、コーヒーを楽しむ時間はある
私たちの人生という瓶にも、毎日たくさんのものが入ってきます。
仕事も大切。家族も大切。日々の用事も大切です。
けれども、目の前の細かなことばかりで人生という瓶をいっぱいにしてしまったら、本当に大切なものを入れる場所がなくなってしまいます。
だからこそ、
「私にとって、本当に必要なことは何だろう?」
と考えることが大切なのでしょう。
まず最も大切なものを大切にする。その上で、その他に必要なものも与えられていきます。
そして、この話には素敵なオチがあります。
最後に注いだ二杯のコーヒーは、
どんなに人生が忙しくても、誰かと一緒にコーヒーを飲んで楽しく過ごす時間くらいは見つけられる
ということなのだそうです。☕😊
「マルタ、マルタ。あなたはいろいろなことを思い煩って、心を乱しています。」
忙しいときほど、立ち止まってみる。
そして、人生という瓶に最初に入れるべき「ゴルフボール」は何なのかを考える。
「必要なことは一つだけ」
今日のメッセージから、日々の忙しさの中でも、まず神の御言葉に耳を傾けることの大切さを改めて教えられました。

