今年度の日曜礼拝では、旧約聖書の「創世記」からのメッセージを聞いています📖
創世記10章では、ノアの三人の息子「セム、ハム、ヤフェテ」から、その子孫がどのように広がっていったのかが記されています。「諸民族の系図」と呼ばれることもある箇所です。
創世記6〜9章の「ノアの箱舟」の大洪水の後、ノアの家族から再び人々が増え、それぞれの子孫が民族となって各地へと広がっていきました。
そして創世記は、
バベルの塔と民族・言語の分散(11章)
→ アブラハムの物語の始まり(12章)
→ 土地を分け合った甥のロトがソドムへ(13章)
→ ソドムとゴモラの問題(18〜19章)
と続いていきます。
10〜11章では世界全体へと広がっていた視点が、12章になると、一人の人物「アブラハム」へと一気に絞られていきます。
神様はアブラハムに、
「地のすべての部族は、あなたによって祝福される」
という約束をされました(創世記12:3)。
世界中に広がっていった人々を祝福するために、今度は一人の人、アブラハムが選ばれるのです。
そして今日のメッセージは、「アブラハムのとりなし」。聖書箇所は創世記18章16〜33節でした。
🏙️ ソドムとゴモラ
「ソドム」と「ゴモラ」という地名は、創世記10章ですでに登場しています。
ノアの三人の息子の一人であるハムの子カナンの子孫が住む地域について、
「カナン人の領土は、シドンからゲラルの方、ガザに至り、ソドム、ゴモラ……の方、ラシャにまで及んだ。」
(創世記10:19)
と記されています。
その後、創世記13章では、アブラハムの甥のロトがソドムの近くへ移り住みます。
このソドムという町が、今回の物語の舞台になります。
🌳 神様がアブラハムに告げたこと
アブラハムは、長い間、神様から与えられた約束を信じ続けてきました。
創世記18章の前半では、主と二人の御使いが旅人の姿でアブラハムのもとを訪れます。そして、アブラハムとサラに男の子が生まれることが、改めてはっきりと告げられました。
後に生まれるイサクです。
今日の箇所は、その続きです。
主と二人の御使いはアブラハムのところを出発し、ソドムの方へ向かいます。アブラハムも見送りのためについて行きました。
そのとき主は、
「わたしがしようとしていることを、アブラハムに隠しておくべきだろうか」
と言われます。
ソドムとゴモラの罪は非常に重いものとなっていました。
神様は、
「ソドムとゴモラの叫びは非常に大きく、彼らの罪はきわめて重い」
と言われます。
しかし、神様はただ町を滅ぼそうとしているのではありません。
アブラハムについて、
「アブラハムは必ず、強く大いなる国民となり、地のすべての国々は彼によって祝福される」
とも語られています。
ここで、創世記12章から続いてきた神の約束がもう一度出てきます。
神が望んでおられるのは、人々をただ裁くことではなく、アブラハムとその子孫を通して、すべての国民を祝福することでした。
神は正義を行われる方であると同時に、愛とあわれみに満ちた方でもあります。
🙏 町のために祈ったアブラハム
ソドムへの裁きについて聞いたアブラハムには、大きな心配がありました。
ソドムには、甥のロトとその家族が住んでいたからです。
そこでアブラハムは神の前に進み出ます。
「あなたは本当に、正しい者を悪い者とともに滅ぼし尽くされるのですか。」
もし町の中に正しい人が50人いたら、その人たちのために町を赦してくださらないでしょうか。
アブラハムは神様に願いました。
すると神様は、50人の正しい人がいるなら町全体を赦す、と答えられます。
でも、アブラハムはさらに考えます。
45人だったら?
40人だったら?
30人だったら?
20人だったら?
そして、10人だったら?
アブラハムは何度も何度も神様に願いました。
そのたびに神様はアブラハムの願いを聞き、
「その十人のために、わたしは滅ぼさない」
と答えられました。
これが「執り成しの祈り」です。
執り成しとは、誰かと誰かの間に立つこと。そして、自分のことではなく、ほかの人のために神に願い求めることです。
アブラハムは、自分や自分の家族のことだけを祈ったのではありません。
ソドムという町の人々のために、神の前に立って祈りました。
🌅 ためらうロトの手をつかんだ
物語は創世記19章へ続きます。
二人の御使いがソドムへ行くと、そこでロトに出会います。ロトは二人を自分の家に招きました。
しかし、その夜、町の人々が押しかけてきます。ソドムがどれほど深刻な状態になっていたのかが明らかになっていきます。
御使いたちはロトに、家族を連れて町から逃げるように告げました。
ロトは娘たちの婿にも知らせますが、彼らは「冗談だろう」と受け止め、耳を貸しませんでした。
やがて夜が明けます。
御使いたちはロトを急がせます。
ところが、ロトはすぐには逃げませんでした。
ためらっていたのです。
そこで御使いたちは、ロトと妻、二人の娘の手をつかんで、町の外へ連れ出しました。
聖書には、その理由がとても印象的な言葉で記されています。
「主のあわれみによることであった。」
ロトが素早く決断できたから助かったのではありません。
むしろ、ためらっていたロトの手を神様の側からつかみ、滅びから連れ出してくださったのです。
🧂 後ろを振り返らない
御使いはロトたちに、
「いのちがけで逃げなさい。後ろを振り返ってはいけない。」
と告げます。
しかし、ロトの妻は後ろを振り返り、塩の柱になってしまいました。
そしてソドムとゴモラは、神様の裁きを受けることになります。
アブラハムが願った10人の正しい人さえ、そこにはいませんでした。
しかし、創世記19章にはもう一つ、大切なことが書かれています。
神様はソドムとゴモラを滅ぼされたとき、
「アブラハムを覚えておられた」
のです。
そしてロトを滅びの中から逃れさせました。
アブラハムの執り成しの祈りを、神様は聞いておられたのです。
✝️ 私たちのために執り成す方
神様は義なる方です。罪をそのままにされる方ではありません。
しかし同時に、深いあわれみをもって、人の祈りを聞いてくださる方でもあります。
そして新約聖書へ進むと、私たちのために執り成してくださる方が登場します。
イエス・キリストです。
ローマ人への手紙8章34節には、復活されたイエス・キリストが神の右の座につき、
「私たちのために、とりなしていてくださる」
と記されています。
アブラハムがソドムの人々のために神様の前に立ったように、イエス様は私たちのために執り成してくださっています。
そして、神様がアブラハムの執り成しの祈りを聞いてくださったように、私たちの祈りにも耳を傾けてくださいます。
自分のことを祈るだけではなく、
家族のために。
友人のために。
隣人のために。
そして、神様から離れている人のためにも。
誰かのために祈ることなら、私たちにもできます🙏
アブラハムのように誰かのために神様の前に立ち、執り成して祈る者でありたいと思わされた、今日のメッセージでした。
