2026年のシルバーウィーク。北の大地、北海道・釧路にやって来ました。✈️
北海道にはこれまで仕事で何度も来ていますが、その全てが札幌。今回は家族旅行で道東を訪れ、初めて釧路での日曜礼拝に参加しました。
⛪ 道東にも日本同盟基督教団の教会がある
私が毎週通っている教会は、日本同盟基督教団に属しています。
日本同盟基督教団のデータベースを見ると、教会・伝道所などの登録件数は274。一方、日本のプロテスタントでは「日本基督教団」が最大規模の教団で、教会・伝道所は約1,650あります。
単純に教会数だけを比べると、日本基督教団は日本同盟基督教団の約6倍。日本同盟基督教団は、それよりもずっと小さな規模の教団です。
以前、教会地図にリンクを貼りましたが、今回、北海道の道東にどのくらい教会があるのか調べてみると、日本基督教団の教会は釧路、北見、標津などにあり、日本同盟基督教団にも釧路に教会があることが分かりました。
その教会が、今回訪れた釧路虹の教会です。🌈
✈️ 札幌とは随分違う「釧路」
東京・羽田から釧路へは、JAL系とANA・AIRDO系を合わせて、おおむね1日6便の直行便があります。
北海道といえば、私にとってこれまでは「札幌」でした。
羽田―新千歳線は日本最大級の航空路線。ビジネス、観光、帰省、レジャーなど、さまざまな目的の人が利用する北海道の大動脈です。
一方の釧路は、随分雰囲気が違います。
釧路湿原、阿寒湖、摩周湖、さらに知床方面への入口でもあり、特に夏から秋にかけて多くの観光客が訪れるようです。
とはいえ、釧路は道東の行政・経済の拠点でもあります。羽田―釧路線も、平日には仕事を目的とした利用者も決して少なくありません。
観光客、仕事で訪れる人、地元の人、帰省する人――。
いろいろな人が行き交う道東の拠点、釧路。
そんな街にも、同じ日本同盟基督教団に属する教会があると知り、日曜日の朝、礼拝にお伺いすることにしました。
🌈 釧路虹の教会へ
礼拝開始の15分ほど前に到着しました。
レンタカーで向かいましたが、教会の目の前には大きなスーパーがあり、「駐車場は大丈夫かな?」という心配も吹き飛ぶような場所でした。
礼拝堂に入ると、すでに音楽が流れています。
牧師の趙先生がワーシップソングをリードされ、集まった方々はそれを聞いたり、スクリーンに映し出された歌詞を見ながら一緒に歌ったりしています。
スクリーンには、日本語だけでなく、ローマ字、そしてハングルでも歌詞が表示されていました。
北の大地の朝。
外の空気は少しひんやりとしていましたが、礼拝堂にはとても温かな空気が流れていました。😊
📖 「この世の中で、主に仕える」
この日のメッセージは、新約聖書から。
『この世の中で、主に仕える』
聖書箇所は、ローマ人への手紙13章1~7節でした。
ローマ人への手紙は、使徒パウロがローマのキリスト者たちに宛てて書いた手紙です。
パウロの手紙の中でも特に重要なものの一つで、「人はどのように救われるのか」「信仰によって生きるとはどういうことなのか」が体系的に語られています。
このブログを書き始めてからも、ローマ人への手紙から学ぶ機会がありました。
一つは、復活されたイエス・キリストが神の右の座につき、私たちのためにとりなしてくださっていること。
もう一つは、私たちのからだを「神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物」として献げること。
そして12章以降では、さらに具体的な問いへと進んでいきます。
「では、キリスト者として、実際の社会の中をどのように生きるのか?」
いわば、信仰の「実践編」です。
🚦 社会の中で生きるということ
私たちは、一人で生きているわけではありません。
家庭があり、学校があり、職場があり、地域があり、社会があります。
多くの人が一緒に暮らすためには、決まりや秩序が必要です。
約束を守る。
時間を守る。
任された責任を果たす。
仕事を誠実にする。
そして、支払うべき税金を納める。
「面倒だな」と思うこともあるかもしれません。
自分一人だけなら、「自分が納得できなければ従わない」という生き方もできるでしょう。
でも、社会では多くの人が一緒に生きています。
だからこそ、秩序が必要になります。
パウロがローマ人への手紙を書いた時代、キリスト者たちはローマ帝国という巨大な国家の中で暮らしていました。
そこで問われたのが、
「神を信じる者は、この社会の中でどう生きるのか?」
という、とても現実的な問題でした。
🙏 すべての権威の上に神がおられる
ローマ人への手紙13章では、すべての権威の上に神がおられることが語られます。
社会にも秩序があります。
家庭にも、それぞれの役割があります。
職場にも、責任やルールがあります。
しかしキリスト者にとって、そのさらに上におられるのは神です。
だからこそ、人が見ているから正しくするのではなく、神の前で良心をもって誠実に生きる。
もちろん、いつでも完璧にできるわけではありません。
それでも、そう生きようとする。
それが信仰者の歩みなのだと思います。
🚗 信号を守るのも信仰?
この日の礼拝には、多くの方が車で来られていました。
私自身もレンタカーで教会へやって来ました。
考えてみれば、車の運転も同じです。
信号を守る。
制限速度を守る。
正しい場所に駐車する。
「警察に捕まりたくないから守る」というだけではありません。
みんなが安全に道路を使うためにルールがあります。
誰も見ていなくても守る。
それはとても小さなことのようですが、信仰と日常生活は切り離されたものではないということなのでしょう。
日曜日に教会で礼拝することだけが信仰ではありません。
月曜日になって職場へ行く。
家族と過ごす。
車を運転する。
仕事をする。
税金を納める。
人との約束を守る。
その一つひとつの中で、私たちは神の前を歩んでいます。
⛪ 置かれた場所で、誠実に歩む
礼拝前の報告では、北海道の教会のこれからについてのお話もありました。
教会の合併に伴い、今後は伝道所としての役割を担っていく教会もあるとのことでした。
教会にも、さまざまな変化があります。
規模が変わることもある。
形が変わることもある。
置かれている状況が変わることもある。
それでも、
置かれた場所で、主に仕えながら誠実に歩んでいく。
この日の聖書のメッセージと、教会がこれから歩もうとしている姿が、どこか重なっているように感じました。
🎥 北海道で続けられてきた開拓の歩み
礼拝が終わった後には、札幌を中心に北海道で約30年、日本では約40年にわたって開拓の働きを続けてこられた朴先生へ、みんなでビデオメッセージを準備するひとときがありました。
長い年月、一つの土地に根を下ろして教会を建て上げていく。
そこにもまた、
「置かれた場所で、主に仕える」
という歩みがあるのでしょう。
朴先生は書物も出されています。
今回の旅で初めて知った牧師ですが、何かの機会に、その歩みについても読んでみたいと思いました。
北海道・釧路で迎えた日曜日。
旅先で初めて訪れた教会でしたが、いつもの教会とは違う風景の中で、改めて考えさせられました。
信仰は、教会の中だけにあるものではない。
家庭で、職場で、地域で、そして社会の中で。
どこに置かれていても、神の前で誠実に歩む。
北の大地で聞いた、
『この世の中で、主に仕える』
というメッセージでした。🌈
