以前、教会地図について記しましたが、町田駅周辺から神奈川県央の方向へ教会地図を眺めてみると、日本同盟基督教団に属する3つの教会が、比較的近い範囲に集まっていることに気づきます。
町田南キリスト教会、東林聖書キリスト教会、座間キリスト教会。
町田~相模大野~東林間~座間という、小田急線沿線の一つの生活圏に並ぶように教会があります。
地図で見ると、ちょっとした「教会クラスター」のようです。⛪⛪⛪
⛪ 3つの教会、それぞれの歴史
日本同盟基督教団は、教会開拓を大切にしてきた教団です。
一つの教会から開拓伝道が広がって、近隣に教会が生まれていったのかなと思われるかもしれません。
ところが、この3つの教会は、それぞれ異なる歴史を持っています。
町田南キリスト教会は、1984年に鈴木牧師によって町田市で開拓伝道が始められました。1991年には、現在につながる新しい会堂が献堂されています。
座間キリスト教会も、同じ1984年に歩みを始めています。
こちらは、日本人だけでなく、米軍キャンプから来るアメリカ人家族、韓国人など、3か国の信徒がともに集まり、日本人への伝道を目的として始まった教会です。一時期には120人ほどが集まる教会に成長したと紹介されています。
そして、少し違った歴史を持っているのが、東林聖書キリスト教会です。
1973年、山口牧師が相模原市上鶴間で始めた開拓伝道を起源とし、その後、約50年間にわたって単立教会として歩んできました。
そして2024年、日本同盟基督教団に加盟しました。
つまり、現在では3つとも同じ日本同盟基督教団に属していますが、一つの教会から枝分かれして生まれたわけではありません。
それぞれ別々の歴史を歩んできた教会が、今では同じ教団に属し、町田~相模原~座間という比較的狭い生活圏に集まっている。
地図を眺めているだけでは分からない、なかなか興味深い歴史です。
📖 「レビは立ち上がった」
今日は、その東林聖書キリスト教会の牧師によるメッセージからの学びとなりました。
メッセージのタイトルは、
『レビは立ち上がった』
聖書箇所は、新約聖書のマルコの福音書2章13~17節です。
マルコの福音書は、新約聖書にある4つの福音書――マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ――の一つで、4福音書の中では最も短い福音書です。
ここに「レビ」という人物が登場します。
レビの職業は取税人でした。
当時のユダヤはローマ帝国の支配下にあり、取税人は税金を徴収する仕事をしていました。
しかも、取税人は不正な徴収によって私腹を肥やすイメージとも結び付けられ、同胞からはローマの支配に協力する人間として見られることもありました。
そのため、ユダヤ社会では「罪人」と同じように扱われ、人々から嫌われる存在でもありました。
そんなレビが、収税所に座っていました。
そこへイエスがやって来ます。
「わたしについて来なさい」
イエスはレビを避けませんでした。
通り過ぎることもしませんでした。
レビの前で立ち止まり、
「わたしについて来なさい」
と招かれます。
するとレビは、
立ち上がって、イエスに従いました。
聖書には、とてもあっけないほど簡潔に書かれています。
でも、これは人生を賭けた大きな決断だったのでしょう。
イエスから最初に招かれた弟子たちの中には漁師がいました。彼らは一度イエスに従った後でも、再び漁に出ることができました。
しかし取税人のレビの場合、収税所を離れてしまえば、簡単に元の仕事へ戻ることはできなかったと考えられます。
それでもレビは立ち上がりました。
「これからは神のために生きる。」
人生の方向そのものを変える決断でした。
✝️ 取税人レビから、イエスに従う者へ
このレビは、伝統的にはマタイの福音書に登場する取税人マタイと同一人物と理解されてきました。
マタイの福音書には、イエスが語られた有名なことばが数多く記されています。
たとえば、
「心の貧しい者は幸いです。」
「悲しむ者は幸いです。」
かつて、人々から「ローマに魂を売った」とでも言われかねない立場にいた取税人。
誰も自分の人生の傷をいたわってくれない。
誰も自分の前で立ち止まってくれない。
そんな人生を歩んでいたのかもしれません。
しかし、イエスは立ち止まりました。
そして、
「あなたが必要だ」
とでもいうように、レビを弟子として招かれました。
罪人の前で立ち止まる人がいなくても、神は立ち止まってくださる。
人からどう見られてきたとしても、イエスとの出会いによって人生は変わる。
レビの物語は、そのことを教えてくれます。
🍽️ なぜ罪人と一緒に食事をするのか?
そして物語は、そこで終わりません。
レビの家でイエスが食事をすると、そこには多くの取税人や「罪人」と呼ばれていた人たちが集まってきました。
それを見た律法学者たちは疑問を持ちます。
「なぜ、イエスは取税人や罪人たちと一緒に食事をするのか?」
イエスは答えます。
「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人です。」
そして、
「わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」
と語られました。
病気になれば医者を必要とします。
そして考えてみれば、生涯一度も医者を必要としない人など、ほとんどいないでしょう。
それと同じように、
イエスを必要としない人もいない。
「自分は大丈夫だから、救いなど必要ない」ということではありません。
私たちは誰もが弱さを持っています。
間違えることもあります。
傷つけることも、傷つくこともあります。
だからこそ、イエスを必要としています。
⛪ この形こそ、教会なのかもしれない
イエスに招かれたレビは、自分だけが救われて終わったわけではありませんでした。
レビのところには、同じように取税人や罪人と呼ばれていた人々が集まりました。
そして、その真ん中にイエスがおられました。
イエスと出会った人が、また別の人とともにイエスのところへ集まってくる。
レビが味わった救いの恵みを、同じように受け取る人たちが増えていく。
もしかすると、この形こそ教会なのかもしれません。
立派な人だけが集まる場所ではない。
問題のない人だけが集まる場所でもない。
イエスを必要としている人たちが集まり、ともに御言葉を聞き、ともに歩んでいく。
町田、相模原、座間。
それぞれ別々の歴史から始まった教会も、今では同じ日本同盟基督教団の中で歩んでいます。
それぞれの場所で、イエスの招きを聞き、立ち上がってきた歴史があります。
🧂 私たちは「地の塩」
イエスに招かれたレビは、立ち上がりました。
私たちもまた、イエスに招かれた弟子として、この世界の中を歩んでいきます。
聖書には、
「あなたがたは地の塩です」
というイエスのことばがあります。
塩は目立つものではありません。
しかし、料理の中に入れば味を整えます。
腐敗を防ぐ働きもあります。
では、イエスに招かれた私たちは、この世界の中でどのような「味」をつけていくのでしょうか。
レビの人生は、イエスとの出会いによって大きく変えられました。
そして、その始まりは驚くほど短い一言でした。
「わたしについて来なさい。」
レビはそれを聞き、
立ち上がりました。
私たちもまた、それぞれが置かれている場所で、その招きにどう応えていくのかを問われているのだと思います。🕊️

