自然が語りかけてくる信仰 ― 『秘密の花園』と頌栄の世界
前回、「『秘密の花園』ノート」の読書記録を綴りました。
『秘密の花園(The Secret Garden)』は、フランシス・ホジソン・バーネットによって1911年に発表された、世界的にとても有名な古典児童文学です。英語圏では「一度は読んだことがある」と言われるほど親しまれている作品でもあります。
物語はとてもシンプルです。
孤独な少女メアリーが、閉ざされた庭を見つけ、その庭を少しずつ蘇らせていく――ただそれだけの話です。けれど、その過程には驚くほど深い意味が込められています。
荒れた庭は、まるで傷ついた心のよう。
そして、手入れされた庭は癒された心の姿。
ただしここで大切なのは、「綺麗になった」という結果ではありません。
- 手をかけること
- 時間をかけること
- 誰かと関わること
そうしたプロセスの中で、心がゆっくりと回復していく――その“過程”こそが、この物語の核心なのだと思います。
私が今回手に取ったのは、2024年に出版された新しい翻訳版(ハードカバー)。
数ある翻訳の中でも、驚くほど読みやすく、物語にすっと入り込むことができました。
そして圧巻なのは、やはり物語の最後です。
このブログでは「日曜日は教会へ」というテーマで教会のことを書いていますが、これまで触れてこなかったものが、ここでふと姿を現します。
それが「頌栄(Doxology)」です。
頌栄とは、神の栄光をほめたたえる言葉。
語源は、doxa(栄光)+logos(言葉)です。
有名な英語の頌栄はこうです:
Praise God, from whom all blessings flow,
Praise Him, all creatures here below,
Praise Him above, ye Heavenly Host,
Praise Father, Son, and Holy Ghost.
Amen.
日本語では:
たたえよ、すべての恵みの源なる神を
たたえよ、生きとし生けるものを作りたまいし神を
たたえよ、すべてを治めたまう天なる神を
たたえよ父と子と精霊を
アーメン
日本の教会では、聖歌384番として知られ、同じメロディーで
たった一行に凝縮されています。
「全ての恵みのもとなる御神を、造られし者よ、いざ讃えまつれ」
多くの教会では、礼拝の最後に会衆が立ち上がり、この頌栄を歌います。
それは単なる歌ではなく、共同体として神の栄光を宣言する行為です。
物語に印象的な場面があります。
ヒバリが空へ昇っていくときに歌うあの声も、どこか頌栄に似ているのではないかと。
人間が何かを作り出すというよりも、
- 光が差し込み
- 花が咲き
- 季節が巡る
その中で、人の心がいつのまにか変えられていく。
そして気づいたときには、
何かを「たたえずにはいられない」自分がいる。
それは、言葉にならない感謝であり、喜びであり、
まさに頌栄そのものなのかもしれません。
『秘密の花園』の最後に何が起こるのか。
それはぜひ実際に読んで味わってほしいのですが、ひと言だけ言うなら――
心が解き放たれる瞬間が待っています。
最後に少しだけ比較を。
『秘密の花園』が描くのは、
👉「自然が最高のアートであると思わざるを得ない、恵みとしての信仰」
一方で、J・D・サリンジャーの『フラニーとズーイー』が問いかけるのは、
👉「キリスト的であるとはどういうことか、正しい祈りとは何か?」という、問いとしての信仰。
どちらも同じ“信仰”を扱いながら、まったく違う角度から私たちに語りかけてきます。
だからこそ、この2つを並べて読むと、見えてくる世界がぐっと広がる気がします。

