日曜日は教会へ:「まさか私では」——ユダの裏切りとマルコ14章に見る人の弱さと希望

2026年2月2週目から3月1週目の教会の生花 教会
教会に生けられている花が、2月から3月の季節の花に変わりました。
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🌿 佳境に入るマルコの福音書と、ひとつの区切り

私が通っている教会では、この2年間、歓迎礼拝や季節の特別なイベントでの説教を除いて、ずっとマルコの福音書を読み進めてきました。

そして先週から、いよいよクライマックスともいえる14章に入りました。イエスが十字架へと向かう、最も緊迫した場面です。

📖 今日のメッセージ:「まさか私では」

今回の箇所は、マルコの福音書14章10〜21節。
タイトルは 「まさか私では」 でした。

イエスは祈りの中におられるとき、やがてローマ兵の一団がやってきて、イエスは捕らえられます。
そして、その後、十字架への道が決定的に進んでいきます。

🕊️ ユダの裏切りという出来事

この流れの中で重要な人物が、イスカリオテのユダです。

彼はイエスを裏切り、情報を提供しました。
その結果、「裏切り者ユダ」という名前は、今や多くの人に知られる存在となっています。

ただ——
聖書を読んでいて感じるのは、ユダの心の動きは意外と詳しくは書かれていないということです。

なぜ彼はその決断に至ったのか。
完全には見えてきません。

けれど一つ確かなのは、
👉 その出来事さえも、神の大きな計画の中にあったということです。

🌿 ナルドの香油とユダの心

先週の場面では、ナルドの香油がイエスに注がれました。

ナルドとは、ヒマラヤ原産の非常に貴重な植物から作られる香油で、
当時では「1年分の賃金」に相当するほど高価なものでした。

いわば——
👉 “天然の超高級アロマオイル”のような存在です。

この香油が惜しみなく使われたことに対して、
ユダは「無駄だ」と不満を抱きます。

そしてその直後に、裏切りへと進んでいく——

この流れを見ると、
人の心の微妙な動きや葛藤を感じずにはいられません。

💬 イエスの言葉に感じた憐れみ

印象的だったのは、イエスの言葉です。

「人を裏切る人は災いだ」

ここでイエスは、ユダの名前をあえて出しません。
断罪するのではなく、どこか憐れみを含んだ語り方をされています。

👉 正しさだけでなく、
👉 人への深いまなざしがある

その言葉に、心を打たれました。

⛪ 2年間の区切りとこれから

そして今日の礼拝は、もう一つ特別な意味を持っていました。

冒頭で先生からお話があった通り、
この2年間の説教が、今日でひとつの区切りとなりました。

マルコの福音書は、まさに佳境の14章。
残りはあと2章です。

「この続きはどうなるのだろう?」

そう思っていたところ、牧師から
「休養の後、体調が整えられたときに」とのお話がありました。

👉 つまり、続きは“またいつか”

その日が来ることを願いながら、
来週からの新しい年度を歩んでいきたいと思います。

🎶 心に残る余韻

今回、先生との2年間の思い出をメッセージカードに書きました。

ふと頭に浮かんだのは、
I FEEL THE ECHO のメロディー。

「いつか、どこかで」——
そんな余韻とともに、礼拝は終わりました。

🍀 今日の気づき

「まさか私では」

この言葉は、遠い誰かの話ではなく、
👉 自分自身にも向けられている問いなのかもしれません。

人の弱さ、迷い、そして赦し。

そのすべてを含んで、物語は十字架へと進んでいきます。


2026年3月29日
年度終わりの主日礼拝にて ✍️

2026年2月2週目から3月1週目の教会の生花
教会に生けられている花が、2月から3月の季節の花に変わりました。
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