『プレミアムチケット』― 信仰という“入口”の話
私が毎週通っている教会は、日本同盟キリスト教団 に属しています。
日本のキリスト教(特にプロテスタント)は全体的に規模が小さく、その中でも 日本基督教団 が最大規模の教団。日本同盟キリスト教団は、その中で中規模に位置づけられる教団です。
漆間先生をお迎えして
今日は、同じ教団に属する青葉キリスト教会から漆間先生をお迎えし、メッセージをしていただきました。
タイトルは
『プレミアムチケット』
聖書箇所は「ヨハネの福音書」11章38〜44節。
イエスが友人ラザロをよみがえらせる、有名な場面です。
映画のチケットの話から
メッセージは、映画のチケットの話から始まりました。
少し前までは、コンビニで前売り券を買うのが一般的でしたよね。
でも今は、すっかりネット購入が主流。
私自身も、ムビチケ を使って少しお得に観たい映画の鑑賞券を買い、映画館のサイトで座席指定をするようになりました。ということで、神、いや、紙のチケットを手にすることはほとんどなくなりました。
今のチケットは、どちらかというと、少しでもお値打ち価格で座席を予約をするためのeチケットのような感覚です。
「神の栄光を見るチケットは信仰です」
先生が語られたのが、この言葉でした。
「神の栄光を見るチケットは信仰です。」
とても分かりやすい表現です。
映画でも遊園地でも、イベントに入るにはチケットが必要です。
同じように、信仰は、神の栄光を見るための入口
それがなければ、その場所に入ることができない。
そんなイメージが自然に伝わってきました。
「お値打ち」や「座席の予約」ではないという大切な違い
ここで一つ、考えさせられるポイントがあります。
ムビチケはお得に座席を予約する、という意味合いが強くなっていますが、もしこの感覚で考えると、お値打ちに手に入れて「どこに座るか」「良い席を確保して…」というニュアンスが出てきます。
でも、神の栄光においてはそうではありません。
大切なのは入れるかどうかであって、どこに座るかではない
信仰は、特別席のための優先権ではなく、神の栄光にアクセスするための入口そのものなのです。
ラザロの物語 ― 遅れたように見える神のタイミング
本題のラザロの話に入ります。
ラザロが病気だと知らされたとき、イエスはすぐには向かいませんでした。
その結果、到着したときにはすでに死後4日目。
姉妹のマルタとマリアは、深い悲しみの中にいました。
「どうしてすぐに来てくれなかったのか?」
そう思っても不思議ではありません。
しかし結論はこうです。
イエスは、そこで神の栄光を現されました。
ラザロをよみがえらせることで、
死を超える神の力を示されたのです。
マルタの信仰 ― 悲しみの中でも神に向かう
特に印象的なのは、マルタの姿です。
彼女は悲しみの中にありながらも、
- イエスへの信頼を失わず
- 神に向かう姿勢を持ち続けました
感情は揺れていても、信仰は失っていない。
まさに「プレミアムチケット(=信仰)」を持っていた人です。
私たちの現実と信仰
私たちは毎週、新しい一週間を迎えます。
- 職場の問題
- 学校での悩み
- 家庭の課題
- 健康の不安
現実は決して簡単ではありません。
でも、こう言えるのではないでしょうか。
信じるなら、すでにチケットは手にしている
私たちは何を信じているのか
普段、私たちは何に頼っているでしょうか?
- お金
- 社会的な立場
- 人間関係
- スキルや能力
もちろん、それらも大切です。
でも信仰は違います。
神そのものをよりどころにすること
そして、
信じているかどうかがすべて
神の栄光とは何か
神の栄光とは、
絶望の中に、神の愛と力が貫いてくる瞬間
とも言えると教わりました。
十字架の言葉(福音)は、
信じる者にとって
死を打ち破る神の力
です。
この世の仕組みや常識は変わっていきますが、
福音と復活の約束は変わりません。
プレミアムチケットの本当の意味
「プレミアムチケット」と聞くと、
特別席や優先権を想像するかもしれません。
でもここで語られているのはそうではありません。
信じるすべての人に与えられるもの
それは、
神の栄光にアクセスするための鍵
のようなものです。
最後に
信仰という鍵を差し込んで、
(今風に言えば、eチケットでロックを解除して)
神の栄光を見てみませんか?
日曜日の礼拝の時間、
教会の扉はいつでも開かれています。
2026年4月26日
4月第四の日曜礼拝にて。

