🌿 佳境に入るマルコの福音書と、ひとつの区切り
私が通っている教会では、この2年間、歓迎礼拝や季節の特別なイベントでの説教を除いて、ずっとマルコの福音書を読み進めてきました。
そして先週から、いよいよクライマックスともいえる14章に入りました。イエスが十字架へと向かう、最も緊迫した場面です。
📖 今日のメッセージ:「まさか私では」
今回の箇所は、マルコの福音書14章10〜21節。
タイトルは 「まさか私では」 でした。
イエスは祈りの中におられるとき、やがてローマ兵の一団がやってきて、イエスは捕らえられます。
そして、その後、十字架への道が決定的に進んでいきます。
🕊️ ユダの裏切りという出来事
この流れの中で重要な人物が、イスカリオテのユダです。
彼はイエスを裏切り、情報を提供しました。
その結果、「裏切り者ユダ」という名前は、今や多くの人に知られる存在となっています。
ただ——
聖書を読んでいて感じるのは、ユダの心の動きは意外と詳しくは書かれていないということです。
なぜ彼はその決断に至ったのか。
完全には見えてきません。
けれど一つ確かなのは、
👉 その出来事さえも、神の大きな計画の中にあったということです。
🌿 ナルドの香油とユダの心
先週の場面では、ナルドの香油がイエスに注がれました。
ナルドとは、ヒマラヤ原産の非常に貴重な植物から作られる香油で、
当時では「1年分の賃金」に相当するほど高価なものでした。
いわば——
👉 “天然の超高級アロマオイル”のような存在です。
この香油が惜しみなく使われたことに対して、
ユダは「無駄だ」と不満を抱きます。
そしてその直後に、裏切りへと進んでいく——
この流れを見ると、
人の心の微妙な動きや葛藤を感じずにはいられません。
💬 イエスの言葉に感じた憐れみ
印象的だったのは、イエスの言葉です。
「人を裏切る人は災いだ」
ここでイエスは、ユダの名前をあえて出しません。
断罪するのではなく、どこか憐れみを含んだ語り方をされています。
👉 正しさだけでなく、
👉 人への深いまなざしがある
その言葉に、心を打たれました。
⛪ 2年間の区切りとこれから
そして今日の礼拝は、もう一つ特別な意味を持っていました。
冒頭で先生からお話があった通り、
この2年間の説教が、今日でひとつの区切りとなりました。
マルコの福音書は、まさに佳境の14章。
残りはあと2章です。
「この続きはどうなるのだろう?」
そう思っていたところ、牧師から
「休養の後、体調が整えられたときに」とのお話がありました。
👉 つまり、続きは“またいつか”
その日が来ることを願いながら、
来週からの新しい年度を歩んでいきたいと思います。
🎶 心に残る余韻
今回、先生との2年間の思い出をメッセージカードに書きました。
ふと頭に浮かんだのは、
I FEEL THE ECHO のメロディー。
「いつか、どこかで」——
そんな余韻とともに、礼拝は終わりました。
🍀 今日の気づき
「まさか私では」
この言葉は、遠い誰かの話ではなく、
👉 自分自身にも向けられている問いなのかもしれません。
人の弱さ、迷い、そして赦し。
そのすべてを含んで、物語は十字架へと進んでいきます。
2026年3月29日
年度終わりの主日礼拝にて ✍️

