泣ける小説を探して──恋愛という名の「時間」と「距離」
泣ける小説が読みたくなって、ふと手に取った一冊がありました。
正直に言うと、恋愛ものはあまり得意ではありません。けれどこの本は、「恋愛には、こんな形もあるのか」と静かに教えてくれる作品でした。
若い頃、
「自分は結婚なんてしないかもしれないな」
そんなふうに思っていた時期があります。
誰かと結ばれる未来を想像することもなく、
ましてや「自分と出会うはずだった誰か」の存在なんて、考えたこともありませんでした。
でも、もし――
自分が選ばなかった人生の向こう側で、誰かが幸せになるはずだったとしたら。
そう思った瞬間、胸の奥が少しだけ締めつけられるような気がしたのです。
恋愛って、自分の軸がぐらっと揺らぐほどの力を持っているものなんですね。
映画『ぼくは明日、昨日の君とデートする』を観て
ちょうど同じタイミングで、
映画『ぼくは明日、昨日の君とデートする』も観ました。
福士蒼汰さんと小松菜奈さん。
「泣ける映画」と聞いてはいましたが、確かにこれは……きます。
名前を「さん」付けで呼んでしまう距離感。潤いがないですよね。大事なことですよね。
そんなことを考えるだけで、どこか切なさが漂います。
特に印象に残ったのは、家族のシーン。
息子の帰りを待ちきれず、そわそわと掃除を始めるお父さん。
「たまには帰ってきなさい、彼女と一緒に」と言うお母さん。
そして、両親と一緒に写る一枚の写真。
――ここは、正直こらえきれませんでした。
泣きました。
それでも、どこか噛み合わない二人。
同じ時間を生きているはずなのに、少しずつすれ違っていく感覚が、胸に残ります。
『恋愛寫眞』に戻って
さて、話を小説『恋愛寫眞』に戻します。
こちらは基本的にはハッピーエンド……のはずなのに、
読み進めるほどに「これは悲しい結末になるのでは?」と不安になる展開が続きます。
でも、読み終えて思ったのはこうでした。
恋愛は、
「一緒にいた時間の長さ」だけで測れるものじゃない。
一瞬でも、深く心が通った時間があれば、
それは確かに“恋”だったのだと。
ドーナツビスケットが食べたくなりました。
涙腺崩壊への旅は、まだ続く
今回読んだ小説も、観た映画も、
どちらも「原作」と「映像」の両方がある作品です。
そしてどちらにも共通していたのは、
恋は所有するものではなく、すれ違いながらも誰かを想う時間そのものだということ。
残念ながら、今回は号泣まではいきませんでした。
でも、確実に心のどこかが揺さぶられました。
――涙腺崩壊への旅は、まだまだ続きそうです。
次は、どんな物語に出会えるでしょうか。
本:市川拓司(2008)恋愛寫眞(小学館)
映画:監督 三木孝浩()ぼくは明日、昨日の君とデートする



