いつものように10時過ぎに教会に着くと、イエスの復活前に起きた受難と死のメッセージがあった日曜日に故障したプロジェクター📽️は取り外され、スクリーンの代わりに小さな液晶モニターが(配置を変えたオルガンの上に)置かれていました。スクリーンの大きさに比べると液晶モニターの画面はかなり小さいのですが、綺麗にハッキリと映っています。プロジェクターに比べた利点を色々と考え始めたところで、いつものようにピアノ🎹の前奏が始まりました。
今日のメッセージのタイトルは「輝く御姿」マルコの福音書9章2-13節からです。キリストの輝く御姿と言えば、歴史的な画家ラファエロが描いた、キリストの輝く姿の絵「キリストの変容(Transfiguration)」が知られています。弟子たちと共に行なっていたガリラヤ周辺の伝道旅行の途上、イエスはご自分が受ける苦難と死、および復活について話されました。弟子たちはイエスが十字架に磔られて死んで葬られ甦ることになるとは思いもよらず、リーダーと自負するペテロが「そんなことがあってはなりません」と口にします。イエスはペテロに向かって「下がれサタン。」と言ってペテロの言葉を退けました。
その後、イエスは三羽烏である弟子を連れて高い山に登ります(⛰️パレスチナで最も高い山と言われています)。そこで人の子として生まれたイエスは神に戻られる御姿を現します。その御姿を見たペテロは、幕屋を建ててモーセやエリアと同列に扱い永久保存版としたいという思いを口走りました。教祖と神は違います。律法と預言と神のことばは同列に扱えるものではありません。心で思っただけでもアウトな十戒。だからこそ神の救い、イエスキリストの成就があるのです。旧約聖書が指し示している預言は神の愛から来ます。十字架と復活を通して神の預言は成就しましたが、神の御国の完成はまだです。
礼拝後、前から2列目に座っておられるご高齢の方と話をした際、プロジェクターの故障のために一時的に会堂に設置された液晶モニターについてお尋ねしました。前の方に座っているので、文字は小さくても読めるとのこと。後ろの方でも見えるようにするためには、大きなモニター(少なくとも50インチ)を設置する必要があります。これまでは大きなスクリーンが窓の一部を覆っていたので🤔、そうならないように窓の端から部屋の端(幅129cm)におさめようとすると、55インチのモニターがフィットしそうです。そして肝心のコストですが、チューナー無しの液晶モニターであれば、輝度の高いプロジェクターよりも安く(型落ちで5万円程度)で入手できそうです。最近の低価格液晶モニターは輝度とコントラスト比が高く、視野角も広くてクオリティが高いものが多いですね(国外製)。あとは壁掛けをどうするかです。2025年5月25日の日曜礼拝にて。