『終わりの日の希望』――マルコ13章1〜13節から
毎週日曜日に通っている教会の牧師が、3月末で辞任されることになりました。
伝道礼拝やクリスマス礼拝を除けば、ほぼ毎週のように
マルコによる福音書 から語られてきたメッセージ。
その連続講解が、あと1か月で終わると思うと、
不思議と一回一回がとても貴重に感じられます。
小さな黙示録のはじまり
今日の箇所は、マルコ13章1〜13節。
タイトルは「終わりの日の希望」。
この章全体は、学術的に「マルコの小黙示録」と呼ばれているそうです。
終末、患難、迫害、人の子の到来――そうしたテーマが語られる、特別な章。
今回はその導入部分でした。
「なんと素晴らしい建物でしょう」
舞台はエルサレム神殿。
忙しい日々を送りながら、群衆に教えていたイエス。
弟子の一人が、思わず感嘆します。
「なんと素晴らしい建物でしょう」
当時の神殿は、まさに国家の誇り。
信仰の中心であり、よりどころ。
けれどイエスの反応は厳しいものでした。
「この大きな建物を見ているのですか。」
やがて、徹底的に破壊される――。
実際、紀元70年に神殿は崩壊し、
今に残るのは「嘆きの壁」のみです。
神殿がなくなるということ
神殿がなくなるとは、単なる建物の崩壊ではありません。
- 生け贄の制度
- 動物の売買
- 献金の両替
そうした宗教体制そのものが崩れるということ。
イエスは、「この立派な神殿がある限り私たちは守られる」という考えに、
静かに、しかしはっきりと警鐘を鳴らしました。
十字架以降、
神殿中心の信仰はその意味を失っていきます。
世の終わりのしるし?
弟子たちは尋ねます。
- それはいつ起こるのか?
- 世の終わりの兆候なのか?
イエスは語ります。
民族は民族に、国は国に立ち上がる。
世界を見渡せば、
ロシアとウクライナの戦いは4年が経過。
終わりが見えない争い。
日々のいざこざから、国家間の戦争まで。
聖書の言葉は、遠い昔の話ではないと感じさせられます。
「産みの苦しみ」
しかしイエスは、それを単なる破滅として語りません。
「これらは産みの苦しみの始まりである」
苦しみは、滅びの徴ではなく、
救いが完成する前触れ。
そして、こう締めくくられます。
「最後まで耐え忍ぶ者は救われる」
礼拝で心に残った言葉
今日の讃美歌で、ふと心に残った二つの言葉。
邪(よこしま)
- 心がねじれている状態
- まだ行動していなくても使える
- 内面のゆがみ
咎(とが)
- 実際の罪や過ち
- 社会的・道徳的責任を伴う
- 行為として現れたもの
戦争も、争いも、
もしかすると「邪」が積み重なって「咎」になるのかもしれません。
終わりの日の希望
神殿がなくなっても、
世界が揺れても、
争いが続いても。
希望は、建物や体制ではなく、
神様の救いの完成にある。
牧師のメッセージがあと1か月で終わることを思うと、
一つ一つの言葉が、より深く胸に響きます。
わたしもまた、
最後まで耐え忍ぶ者でありたい。
そんな祈りを抱いた日曜日でした。

