日曜日は教会へ:『終わりの日の希望』――マルコ13章から学ぶ、耐え忍ぶ信仰

2026年1月2週目から2月1週目の教会の生花 教会
教会に生けられている花が、1月から2月の季節の花に変わりました。
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『終わりの日の希望』――マルコ13章1〜13節から

毎週日曜日に通っている教会の牧師が、3月末で辞任されることになりました。

伝道礼拝やクリスマス礼拝を除けば、ほぼ毎週のように
マルコによる福音書 から語られてきたメッセージ。

その連続講解が、あと1か月で終わると思うと、
不思議と一回一回がとても貴重に感じられます。

小さな黙示録のはじまり

今日の箇所は、マルコ13章1〜13節。
タイトルは「終わりの日の希望」。

この章全体は、学術的に「マルコの小黙示録」と呼ばれているそうです。
終末、患難、迫害、人の子の到来――そうしたテーマが語られる、特別な章。

今回はその導入部分でした。

「なんと素晴らしい建物でしょう」

舞台はエルサレム神殿。

忙しい日々を送りながら、群衆に教えていたイエス。
弟子の一人が、思わず感嘆します。

「なんと素晴らしい建物でしょう」

当時の神殿は、まさに国家の誇り。
信仰の中心であり、よりどころ。

けれどイエスの反応は厳しいものでした。

「この大きな建物を見ているのですか。」

やがて、徹底的に破壊される――。

実際、紀元70年に神殿は崩壊し、
今に残るのは「嘆きの壁」のみです。

神殿がなくなるということ

神殿がなくなるとは、単なる建物の崩壊ではありません。

  • 生け贄の制度
  • 動物の売買
  • 献金の両替

そうした宗教体制そのものが崩れるということ。

イエスは、「この立派な神殿がある限り私たちは守られる」という考えに、
静かに、しかしはっきりと警鐘を鳴らしました。

十字架以降、
神殿中心の信仰はその意味を失っていきます。

世の終わりのしるし?

弟子たちは尋ねます。

  • それはいつ起こるのか?
  • 世の終わりの兆候なのか?

イエスは語ります。

民族は民族に、国は国に立ち上がる。

世界を見渡せば、
ロシアとウクライナの戦いは4年が経過。

終わりが見えない争い。
日々のいざこざから、国家間の戦争まで。

聖書の言葉は、遠い昔の話ではないと感じさせられます。

「産みの苦しみ」

しかしイエスは、それを単なる破滅として語りません。

「これらは産みの苦しみの始まりである」

苦しみは、滅びの徴ではなく、
救いが完成する前触れ。

そして、こう締めくくられます。

「最後まで耐え忍ぶ者は救われる」

礼拝で心に残った言葉

今日の讃美歌で、ふと心に残った二つの言葉。

邪(よこしま)

  • 心がねじれている状態
  • まだ行動していなくても使える
  • 内面のゆがみ

咎(とが)

  • 実際の罪や過ち
  • 社会的・道徳的責任を伴う
  • 行為として現れたもの

戦争も、争いも、
もしかすると「邪」が積み重なって「咎」になるのかもしれません。

終わりの日の希望

神殿がなくなっても、
世界が揺れても、
争いが続いても。

希望は、建物や体制ではなく、
神様の救いの完成にある。

牧師のメッセージがあと1か月で終わることを思うと、
一つ一つの言葉が、より深く胸に響きます。

わたしもまた、

最後まで耐え忍ぶ者でありたい。

そんな祈りを抱いた日曜日でした。

2026年1月2週目から2月1週目の教会の生花
教会に生けられている花が、1月から2月の季節の花に変わりました。
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