日曜日は教会へ:ナルドの香油 ― マルコとヨハネに見る「同じ出来事、異なる意味」

2026年2月2週目から3月1週目の教会の生花 教会
教会に生けられている花が、2月から3月の季節の花に変わりました。
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ナルドの香油 ― 同じ出来事、異なるまなざし

私の通っている教会では、礼拝をZoomで配信し、録画をYouTubeの限定チャンネルにアップしています。
オンライン参加でも、聞き逃した部分を後からゆっくり振り返ることができるのは、とてもありがたい仕組みです。

今回のメッセージ箇所は、マルコの福音書14章1〜9節。
説教題は「ナルドの香油」でした。

いよいよ十字架の直前へ

これまで教会では、特別な機会を除いて、ずっとマルコの福音書を読み進めてきました。
そしてついに14章――イエスが十字架に向かう、最も緊迫した場面に入ります。

この時、十字架の死の二日前

宗教指導者たちは、過越の祭りの間は混乱を避けるため、イエスの暗殺を控えようとしていました。
しかし結果的には、その思惑とは異なる形で、イエスは過越の祭りの時に十字架にかかることになります

まるで、出来事の背後に神の導きがあるかのようです。

300日分の価値 ― すべてを注ぐ行為

ベタニア、シモンの家での出来事。

ある女性が、300日分の賃金にも相当するナルドの香油を、ためらうことなくイエスの頭に注ぎます。

周囲の人々は「もったいない」と批判します。
しかし、この行為は単なる浪費ではありませんでした。

イエスはこれを、自分の埋葬の準備として受け取ります。

さらに、油を頭に注ぐ行為は、旧約以来の伝統の中で
王やメシアへの油注ぎを象徴するものでもあります。

つまりこの女性の行動は、

  • 王としてのイエス
  • そして、これから死に向かうイエス

この二つを同時に示していたのです。

もう一つの「香油」の物語

ここで思い出されるのが、ヨハネの福音書12章の出来事。

こちらでは、マリア(ラザロの姉)がナルドの香油をイエスの足に注ぎ、自分の髪で拭う場面が描かれています。

同じ「香油を注ぐ」という行為でも、その意味合いは少し異なります。

2つの福音書の対比

とても印象的だったのは、この違いです。

  • マルコの福音書:頭に注ぐ
    → 王・メシア、そして埋葬の象徴
  • ヨハネの福音書:足に注ぐ
    → へりくだり・愛・献身の象徴

どちらも「イエスへの特別な献げもの」を描いていますが、
焦点が見事に異なっています。

理解していなかった弟子たち、理解していた女性

イエスはこれまで何度も、自分の死を予告していました。
しかし、12弟子たちはその意味を十分に理解できていませんでした。

一方で、この女性は――
まるでその時が近いことを知っていたかのように行動します。

言葉ではなく、行動によって示された信仰。

それは、理屈を超えた「応答」だったのかもしれません。

同じ出来事、異なる光

今回のメッセージを通して感じたのは、

同じ出来事でも、どの角度から見るかで意味が深まる

ということでした。

マルコは「王としてのイエス」を、
ヨハネは「愛に応える人の姿」を描いています。

どちらも欠けてはならない視点であり、
重ねて読むことで、出来事の奥行きが見えてきます。


オンラインで聞き返しながら、
改めてその深さに気づかされました。

ひとつの出来事に、これほど多くの意味が込められている――
それが聖書の面白さだと、あらためて感じています。

2026年2月2週目から3月1週目の教会の生花
教会に生けられている花が、2月から3月の季節の花に変わりました。
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