日曜日は教会へ:年の瀬の福井で、立ち止まって考えたこと

冬の雪に備える雪吊りされた庭の樹木 教会
枝が雪の重みで折れないように、上から縄を張って支える雪吊りの出番はもう少し先のことになりそうです。
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年の瀬の福井で思ったこと 〜静かな冬と、祈りの時間〜

久しぶりに、実家のある福井で年末を過ごしました。
気がつけば、なんと10年以上ぶりの年越し帰省です。

金曜日に新幹線で移動しながら、「EXアプリって本当に便利だなあ」と改めて感じた話は別の記事に書きましたが、今回いちばん意外だったのは――雪の少なさでした。

「冬の福井=雪」というイメージが強かったので、もっと覚悟して来たのですが、実際には拍子抜けするほど。
むしろ、道中で通過した東海道新幹線・米原駅周辺のほうが、よほど雪が積もっていたほどです。

どうやら今回の寒波は、北陸よりもさらに北の地域のほうが厳しかったようですね。
久しぶりに降り立った冬の福井は、静かで落ち着いた空気に包まれていて、どこか懐かしさを感じるスタートとなりました。

穏やかな年末、二つの高気圧に包まれて

2025年最後の日曜日。
天気図を見ると、日本列島には二つの高気圧がきれいに張り出していました。

まるで年の瀬をそっと包み込むかのような配置で、空気もどこか穏やか。
寒さはあるものの、荒れる気配はなく、静かで落ち着いた年末です。

雪もあっという間に溶けていき、冬の福井としてはとても過ごしやすい一日でした。

久しぶりに母の運転で教会へ

この日は、後期高齢者となって何年も経過している母の運転する車で、地元の教会へ向かいました。
年末礼拝ということで、年間聖句を振り返るメッセージ。

福井の年間聖句は
「イエスはある所で祈っておられた」から始まる一節
(ルカの福音書より)

メッセージの箇所は、年間聖句の箇所を含めた
「主よ、祈りを教えてください」(ルカ11章1〜4節)

忙しい日々の中で、祈ることの大切さを改めて考えさせられる内容でした。

年末だからこそ感じる「暮らしの重み」

話は、年末ならではの日常にも触れられました。

地方では車がないと生活が成り立ちません。
冬になればタイヤ交換が必要になり、雪が降れば雪かきも欠かせない。
寒い冬は体も硬く、慣れない作業で腰を痛めてしまう人も少なくありません。

私たちは便利な家電に囲まれて暮らしています。
かつての「三種の神器」がテレビ・冷蔵庫・洗濯機だったように、
今では、食洗機・ドラム式洗濯乾燥機・ロボット掃除機が、忙しい子育て家族の日常を支えています。

特に食事は一日三回。
年末に食洗機が故障したら、ちょっとしたパニックになるのも無理はありません。

現代人は、それだけ多くの“便利さ”に支えられて生きているのだと、改めて感じます。

それでも、大切にしたいこと

そんな便利な時代だからこそ、
「それでも何を優先して生きるのか?」
という問いが、心に残りました。

イエスがどんなに忙しい中でも、父なる神との祈りの時間を大切にしていたように。
祈ること、そして人をもてなすこと。

昔は、近所同士で醤油を貸し借りするのが当たり前でした。
助け合うことが、特別なことではなかった時代です。

映画『ALWAYS 三丁目の夕日』では、
駄菓子屋の主人が、育てている子どものために、隣人からお金を借りてまでプレゼントを用意する場面があります。
あの不器用だけれど温かい「もてなしの心」が、どこか胸に残ります。

もてなされる側から、もてなす側へ

年末の帰省で、私は「もてなされる側」になっていました。
母が用意してくれる食事、変わらない家の空気。

そこへ弟も帰省し、なんと自分で打った蕎麦を持ってきてくれました。
気づけば、もてなす側だったはずの母も、もてなされる側になっていたのです。

久しぶりに顔を合わせ、何気ない会話を交わす。
それだけで、なんとも言えない温かさを感じました。

忙しいからこそ、立ち止まる

年末は何かと慌ただしいものですが、
だからこそ、

  • 祈ること
  • 誰かを思いやること
  • もてなすこと

そうした「立ち止まる時間」を大切にしたいと感じました。

便利さの中で忘れがちなこと。
けれど、人生の軸になるのは、きっとこうした小さな行いなのだと思います。

静かな冬の福井で、そんなことを考えた年の瀬でした。

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