毎週日曜日の朝、私は相模原の自宅から車で町田の教会に向かっています。距離は約10km。途中で高齢の方をお乗せし、教会前にある3台だけの駐車スペースに停めることもあれば、徒歩数分の有料駐車場(1時間200円ほど)を利用することもあります。町田駅から2km以上離れているおかげで、駅周辺より料金が安いのは助かります。
出発はいつも9時半。国道16号を使って向かうのですが、商業施設の多くが10時オープンということもあり、この時間帯の日曜日の16号は意外と空いています。ただ、町田駅周辺の16号はもともと交通量の多い幹線道路。必ずしも“スイスイ”とはいかず、状況次第です。
本来なら、渋滞予測を見たり少し早めに出れば安心なのですが、これまでは「まあ何とかなるだろう」でやり過ごしてきました。
ところが、3週間前に事故渋滞に巻き込まれて以来、私は出発前に必ず Google マップで目的地を設定し、推奨ルートに従う ようになりました。使ってみると、あの到着予測時刻の精度の高さに毎回驚かされます。
Google マップの到着予想時間は、単なる計算式ではなく
リアルタイムの交通状況 × 過去データ × 最新AIモデル
によって、毎日のようにアップデートされ精度が磨かれています。
生成AIと直接の関係はないものの、最新のAIが裏側で最適化を支えている。まさに“サービス全体を支える要(かなめ)の石”のような存在だと感じました。
今日のメッセージ「要の石」
教会での本日のメッセージは、マルコの福音書12章1〜12節に登場する「ぶどう園の例え」でした。
神殿で教えておられたイエスに対し、宗教指導者たちは問いただします。彼らは神の心ではなく「人の目」を気にしていました。
イエスが語った例えに出てくるぶどう園は、垣根も搾り場も宿舎もすべて整っており、いわば当時の“ワイナリー”。主人はそこを農夫に委ね、収穫物の一部(物納)を受け取る契約でした。
しかし農夫たちは、主人が送るしもべを次々と傷つけ、ついには殺してしまいます。主人が敵対する彼らを赦し続けているにもかかわらず、農夫たちの憎しみは増すばかり。最後には、主人の愛する息子にまで手をかけてしまいます。
これは、神が送られた預言者を拒み、やがてイエスを十字架にかける宗教指導者たちの姿と重なります。
では、この例えで “神が受け取る取り分” は何なのでしょう?
神が求めておられる“取り分”とは
現代では「親ガチャ」「人生ガチャ」という言葉もありますが、私たちは生まれる場所も時代も、与えられる才能も選べません。命のスタートを自分で決めた人はいません。
それでも私たちは、神様から託された命を生きています。
その人生の中で イエスの愛と恵みを忘れず歩むことこそ、神が求めておられる“取り分” なのだと学びました。
イエスはマルコ12:10–11で、詩篇118篇22-23節を引用してこう言います。
「家を建てる者たちの捨てた石、
それが要の石となった。」
“要の石”(cornerstone)は、建物全体を支える最も重要な石のこと。
建築現場では使えないと捨てられた石が、実はアーチを支える中心の石になるのです。
イエスもまた、人々に拒まれながら、教会を築くための“要の石”となりました。
Google マップの到着予測が日々精度を増すように、
私たちも 信頼すべきものに心の目と耳を開き、応えていくこと が大切なのだと思います。
日常の小さな気づきが、聖書のメッセージとつながる瞬間は、毎週の教会への道のりをより豊かなものにしてくれます。
