日曜日は教会へ:私たちは見捨てられることはない

いつものように日曜日の朝10時過ぎに教会に着きました。牧師に声をかけて、教会のホームページを(出来るだけお金をかけずに)刷新するにはどうしたら良いか、5分ほど牧師と意見交換(おしゃべり)した後、10時半に礼拝がスタート。牧師が御言葉を取り次ぐメッセージの前に聖歌を賛美。賛美しながらいつものように声の調子を確認します。メッセージのタイトルは「力を尽くして」申命記6章4-5節からです。心の目と耳が開かれるように祈ってメッセージを聞き始めます。

申命記には、写し・繰り返しという意味があるそうです。申命記の冒頭には(十戒で有名な)モーセがイスラエルの民に告げたことばをまとめたものである事が記されています。モーセは40年間、イスラエルの民を率いてきました。イスラエルの神への信仰を確かなものにするモーセの説教。その中心となる御言葉が「心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くして主を愛せよ」(戒め)です。キリスト教が愛の宗教と言われる一因ですが、守るのがとても難しい戒めであり、選ばれた民としての責任を覚えて、聞くことと従う事がコインの表裏のように一体となっています。初めから守る事ができるなら律法は必要ありません。一つでも破れば罪人です。愛を起点とするわけではなく、律法を守る事がポイントになっています。

私たちはお金や富や栄誉、また時には聡明な異性に惹かれます。愛は寛容であり親切で…という聖句から、愛する事は大切だと分かっていても、キリストの律法が守れないのです。神と人との律法を全うすることは容易なことではありません。神の前に全ての人は罪人ですが、私たちは見捨てられることはないという事が教えられました。

礼拝中の賛美の選曲はメッセージ内容とつながっています。メッセージの後は、新聖歌:愛の深さ広さ我歌わん、を賛美しました。礼拝後、3.11から14年が経った東北宣教プロジェクトの歩みのビデオを出席者と一緒に見ました。また、伊勢原から町田まで18年間、教会に通い続けた若い青年と話をしました。これからは埼玉の教会に通う事になるようです。2025年3月16日の主日礼拝にて。

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