日曜日は教会へ(5):何事にも希望はある

今朝は曇り空。朝の散歩では葉桜を楽しめましたが、いつものように自宅を出発する9時半には☔️雨。渋滞で思うように前に進まず、少し遅れて高齢者の方をお乗せして教会へ。ピアノの前奏の中でざわついた心を静めます。

今日のメッセージのタイトルは「未だ悟らぬか」マルコの福音書8章1-21節からです。異邦人の地、デカポリス地方(ガリラヤ湖の東南に広がる地域)で行われたパンの奇蹟の場面です。集まった民衆は四千人。御言葉を聞くために集まってから三日間。七個のパンでは足りません。感謝の祈りの後、パンを割いて小魚と一緒に与えて群衆を満たされました。その後、無分別なしるしを求めるパリサイ人と対話します。イエスはエスラエルの民に分かるようなしるしを与えず、彼らの前から離れました。ベツサイダに向かう船の中では、信仰の目が開かれていない弟子たちと対話します、まだ悟らぬかと。世俗主義といったパン種は、目があっても見ない、耳があっても聞かない状況をもたらします。

信仰は目に見えないところにあります。途方に暮れる経験には克服できるもう一つの側面があります。その地に留まりイエスのわざを地方に広め始めた異邦人。何事にも希望があることを学びました。

礼拝後、毎週お迎えしている高齢者の方と桜の話題になりました。恩田川の桜🌸並木が見事で週末は多くの人で賑わうそうです。いずれ機会を見つけて歩いてみたいと思います。2025年4月13日の主日礼拝にて。

タイトルとURLをコピーしました