今朝は快晴。いつものように10時過ぎに教会に着きましたが、プロジェクター📽️が故障していました(電源を入れても無反応)。ネジを外して裏蓋を開け、内部の二本のネジを緩めてランプを取り出したのですが、ランプ切れではないようです。礼拝開始までに修理できず、プロジェクター無しでの礼拝が始まりました。プロジェクターに賛美の歌詞が映し出されないため、手元で歌集を見てもらうことに。
今日のメッセージのタイトルは「十字架を背負って」マルコの福音書8章27-9章21節からです。弟子たちは指導者の評判を気にします。人々が指導者の事をどう見ているのか、日頃から情報収集しているので直ぐに答える事が出来ます。人々は「ヨハネの生まれ変わりだ」と見ているなどです。イエスが「あなたがたちはどう思っているのか?」と尋ねると、あなたはキリストです(=油注がれた人・救い主)と答えました。神のキリストとはどういうものなのか?イエスは弟子たちにハッキリと教えられました。自分は基準に則って捨てられると。
自分のやってきた事は全て無駄であった、そんな裁きを受けたらどうでしょうか?イエスは重い重い十字架を背負ってゴルゴダの丘まで歩かされました。重い十字架を引きづり、自分の命を差し出した事で私たちの罪をも背負われたイエス。イースターの季節に合わせて、イエスの復活前に起きた受難と死の意味を学ぶ時となりました。
日本のクリスチャン人口は120万人、国内の多くの方から見ると世間の基準では異端児です。かつては内村鑑三が二つのJ(イエス・キリストと日本)、神と隣人の思想を世界に向けて英語で発信しました。最近になって彼の名著「代表的日本人」を読みました。機会を見つけて記事にしておきたいと思います。2025年5月4日の日曜礼拝にて。

