今日のメッセージのタイトルは「救い主と出会うということ」ヨハネの福音書1章40-42節でした。
人生は人との出会いで決まると言われます。人生の最初の出会いは親ですね。親ガチャにより子どもの人生がある程度決まると言われます。
アメリカで生まれたヘレン・ケラーは赤ちゃんの時に髄膜炎で高熱を出して視力と聴力を失いますが、出会った家庭教師が、井戸水をヘレンの手にかけながら「w-a-t-e-r」とつづった時に言葉には意味がある(water=冷たい水)ことを知ります。自分はその中で理解し表現できる存在であること、この世界には秩序があり自分には生きるべき未来がある事を家庭教師であるから教えられました。ヘレン・ケラーは、サリヴァン先生がいなければ、私は何者にもなれなかったと語りました。
イエスの弟子たちにはイエスとの出会いがありました。アンデレ(ペテロの弟)は、イエスの最初の弟子の一人で、目立たないけれど重要な架け橋役、信仰の裏方となりました。イエスが、僅かなパンと魚で五千人もの腹を満たした奇蹟を行なった際、その僅かなパンと魚をイエスに紹介したのがアンデレでした。また、学問と芸術の国ギリシャの人たちがイエスに会いたいと言ったとき、イエスに取り次いだのもアンデレでした。
漁師ペテロは弟アンデレからイエスのところに連れていかれました。そしてペテロは人を取る漁師になります(弟子入り)。イエスが質問すると真っ先に手を挙げた弟子ペテロ。ただ肝心な時に挫折します。12人の弟子の中で一番早とちり者でした。ペテロは岩の意味。岩の上に教会を建てると言われたイエスから天国への鍵を授けられたペテロ。人の人生を支えているペテロの姿を見ます。
ふと私の人生で2度出会ったバルセロナのサグラダファミリアのことを思い出しました。2度の訪問の間に大きく建築が進み、塔が次々と完成していきました。もし元気なうちに3度目に訪れる機会があれば、生誕のファサード、受難のファサード、良く吟味してしっかり鑑賞したいと思いました。現在は最後の塔(=最後に完成される塔)とも言われるキリストの塔が建設中です。天国への鍵に関する彫刻は刻まれるのでしょうか?皆さんもしサグラダファミリアを訪れることがあれば、ぜひ、キリストの生誕と受難についてできるだけ知識を蓄えておくことをお勧めします(書くことが三度の飯より大好きな章音さんのnote記事など参考になるかもしれません)。
