日曜日は教会へ:ペテロの応答に学ぶ ― 礼拝と修養会のひととき

秋の花の飾り付け 教会
稲穂の様に見える花に黄色のオミナエシ、秋らしい雰囲気を出しています
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教会で過ごす日曜日

毎週日曜日の午前中は、私にとって教会の日です。家を出るのは朝9時半頃。車で片道40分ほどかけて教会へ向かいます。礼拝は10時半から始まり、だいたい50分程度。終わるとすぐに帰る方も多いのですが、私は少しだけ残って、出席した方とお話をしてから帰路につくのが習慣になっています。家に戻るのはだいたい12時半頃。こうして毎週、約3時間を教会のために過ごしています。

私の通う教会では、年に2回ほど「修養会」と呼ばれる集まりがあります。日曜日の午後に1時間程度行われるもので、普段の日曜礼拝とは少し雰囲気が違います。前回は6月に行われました。修養会の日は外部から牧師を招いて説教をしていただくのですが、普段とはまた違ったメッセージを受け取れる特別な時間になります。

今週のメッセージ:ルカの福音書5章1〜11節

この日の礼拝で語られたメッセージは『おそれず付いてきなさい』でした。聖書箇所は「ルカの福音書」5章1〜11節。ここは、イエスが新しい共同体=弟子団を形成し始めた場面として位置づけられています。

弟子として招かれたのは4人。しかし中心に描かれているのはペテロで、彼が最初にイエスの呼びかけに応じた弟子とされています。ペテロは弟子の代表選手とも言える存在。イエスの宣教活動は、まさにここから始まりました。

印象的なのは、イエスが「神から一番遠い」と見なされていた人々にまず語りかけたことです。立法学者や宗教的エリートではなく、漁師に声をかけられたのです。信仰とは無縁に思える人にこそ、イエスは目を留め、じっと見つめておられました。

大工の仕事であれば、木を削り、組み立て、家が出来上がれば形として残ります。成果が目に見えやすい仕事です。漁師の仕事では、網を投げても空振りが続くこともある。成果が不確かで、努力がすぐに報われるとは限らない仕事です。ここに、信仰生活や福音の働きに似た側面があります。すぐに実を結ぶとは限らず、「空振り」に見えることが続くのです。

ペテロの応答と信仰の実践

ペテロは一晩中漁をしても何も獲れず、疲れ果てていました。そんな中でイエスに言われたのが、「でも、おことばですので、網を下ろしてみましょう」という言葉です。

彼はイエスの足元で説教を聞きました。しかし、聞くだけで変化が起こったわけではありません。実際に「言葉に基づいて行動」した時に、大きな祝福が現れたのです。つまり、説教をたくさん聞くことよりも、一つでも主の言葉に従うことが大切だと分かります。

疲れ果てている私たちにも、イエスは「ついてきなさい」とシンプルに声をかけてくださいます。進むべき道を示し、目的地まで共に歩んでくださる主。その存在があるからこそ、力尽きていても、その一言に従う勇気を持つことができるのだと思います。

午後の修養会

午後には修養会がありました。私の教会では、以前は誰でも参加できるミニコンサートを開いたこともありましたが、近年は講師を招いたセミナー形式で行われています。

今回は、クリスマスに歌う曲の作者(作詞家や作曲家)について学ぶ時間でした。これまで修養会のセミナーは外部に開かれていませんが、初めて教会に来る人や、信仰にまだ慣れていない人にとっても、きっと良いきっかけになると思います。来年はそうした方々にとっても開かれた場になるように、私自身も働きかけていきたいと願っています。

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