日曜日は教会へ:春の陽気の中で「扉をあけて」― ラオディキアへの黙示と交わりの回復

2026年1月2週目から2月1週目の教会の生花 教会
教会に生けられている花が、1月から2月の季節の花に変わりました。
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春の陽気と「扉をあけて」というメッセージ

1週間前の朝は、カーテンを開けると一面の銀世界でした。
それが今朝は、どこか春の気配を感じるやわらかな空気。

急に寒くなったり、急に暖かくなったり。体調管理が難しい季節ですね。
それでも今年は、今のところ花粉症の気配がまったくないのが不思議です。

今朝のメッセージ

📖 『ヨハネの黙示録』3章14〜22節
テーマは 「扉をあけて」 でした。

毎月第3日曜日は、私が通っている町田市のプロテスタント教会では「伝道礼拝(歓迎礼拝)」として位置づけられています。

そんな礼拝で黙示録が語られるのは、実はかなり珍しいことです。
普段の日曜礼拝でも、あまり頻繁に取り上げられる書ではありません。

黙示録という書物

『ヨハネの黙示録』を書いたのは、12弟子の一人ヨハネ。
彼は福音書や手紙も記していますが、黙示録はそれらとは雰囲気が異なります。

滅びの描写、象徴的な表現、謎めいた幻…。
「なんだか怖い書物」という印象を持つ方も多いかもしれません。

けれど実は、「黙示」とは
隠されていたものの覆いを取り除くことという意味。

「黙示」も「啓示」も、同じ言葉から訳されています。

その啓示は、

神 → キリスト → 御使い(天使) → ヨハネ

と伝えられ、ヨハネはそれを七つの教会へ送りました。

そこには、

  • 賞賛
  • 警告
  • 励まし
  • 約束

が込められていました。

ラオディキアの教会

今日の箇所は、七つ目の教会――ラオディキア。

この町はとても裕福でした。

  • 目薬が世界中に輸出される医学の町
  • 高級な織物の産地
  • 約10km離れた温泉地ヒエラポリスから水を引く豊かな都市

経済的に恵まれていた一方で、教会は霊的に堕落していました。

主はこう言われます。

「あなたは熱くもなく、冷たくもない。」

到着するころにはぬるくなってしまう水のように、
信仰が中途半端になっていたのです。

見えるものではなく、見えない回復

町は目薬を誇っていました。
けれど主は言われます。

「目が見えるようになるため、目薬を買いなさい。」

それは物理的な目薬ではなく、
霊的な視力の回復を意味していました。

黒い羊毛の町に、

「白い衣を買いなさい。」

それはファッションではなく、
義と清さの象徴でした。

そして何よりも、

「熱心になって悔い改めよ。」

口先だけではない、
心の底からの方向転換。

それは愛するがゆえの懲らしめ(訓練)でした。

扉の前に立つイエス

この箇所の有名な言葉があります。

「見よ、わたしは戸の外に立って叩いている。」

イエスは無理やり戸を壊して入っては来ません。
在宅中に強引に侵入することもありません。

ただ、叩き続けてくださる。

🚪 私たち一人ひとりの心の扉を。

そして、

「だれでも戸を開けるなら、わたしは入ってその人と共に食事をする。」

目的は願いを叶えることでも、
成功を与えることでもなく、

❤️‍🩹 交わりの回復

共に食卓を囲む関係の回復です。

富の中で失われやすいもの

豊かさや自由の中で、
いつの間にか心が離れてしまうことがあります。

「神さま、これをください」
「この幸せを守ってください」

そう祈ることは悪くありません。

けれど主が求めておられるのは、
願いを叶える関係ではなく、

共にいる関係

これが、この箇所の黙示(啓示)なのだと感じました。

黙示録は、単なる災いの書ではありません。

それは
回復の書

春の空気を感じた今朝、
心のシャッターを少し上げてみようと思わされました。

御霊の実をいただく体験が、
その先に待っているのかもしれません。

2026年1月2週目から2月1週目の教会の生花
教会に生けられている花が、1月から2月の季節の花に変わりました。
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