春の陽気と「扉をあけて」というメッセージ
1週間前の朝は、カーテンを開けると一面の銀世界でした。
それが今朝は、どこか春の気配を感じるやわらかな空気。
急に寒くなったり、急に暖かくなったり。体調管理が難しい季節ですね。
それでも今年は、今のところ花粉症の気配がまったくないのが不思議です。
今朝のメッセージ
📖 『ヨハネの黙示録』3章14〜22節
テーマは 「扉をあけて」 でした。
毎月第3日曜日は、私が通っている町田市のプロテスタント教会では「伝道礼拝(歓迎礼拝)」として位置づけられています。
そんな礼拝で黙示録が語られるのは、実はかなり珍しいことです。
普段の日曜礼拝でも、あまり頻繁に取り上げられる書ではありません。
黙示録という書物
『ヨハネの黙示録』を書いたのは、12弟子の一人ヨハネ。
彼は福音書や手紙も記していますが、黙示録はそれらとは雰囲気が異なります。
滅びの描写、象徴的な表現、謎めいた幻…。
「なんだか怖い書物」という印象を持つ方も多いかもしれません。
けれど実は、「黙示」とは
隠されていたものの覆いを取り除くことという意味。
「黙示」も「啓示」も、同じ言葉から訳されています。
その啓示は、
神 → キリスト → 御使い(天使) → ヨハネ
と伝えられ、ヨハネはそれを七つの教会へ送りました。
そこには、
- 賞賛
- 警告
- 励まし
- 約束
が込められていました。
ラオディキアの教会
今日の箇所は、七つ目の教会――ラオディキア。
この町はとても裕福でした。
- 目薬が世界中に輸出される医学の町
- 高級な織物の産地
- 約10km離れた温泉地ヒエラポリスから水を引く豊かな都市
経済的に恵まれていた一方で、教会は霊的に堕落していました。
主はこう言われます。
「あなたは熱くもなく、冷たくもない。」
到着するころにはぬるくなってしまう水のように、
信仰が中途半端になっていたのです。
見えるものではなく、見えない回復
町は目薬を誇っていました。
けれど主は言われます。
「目が見えるようになるため、目薬を買いなさい。」
それは物理的な目薬ではなく、
霊的な視力の回復を意味していました。
黒い羊毛の町に、
「白い衣を買いなさい。」
それはファッションではなく、
義と清さの象徴でした。
そして何よりも、
「熱心になって悔い改めよ。」
口先だけではない、
心の底からの方向転換。
それは愛するがゆえの懲らしめ(訓練)でした。
扉の前に立つイエス
この箇所の有名な言葉があります。
「見よ、わたしは戸の外に立って叩いている。」
イエスは無理やり戸を壊して入っては来ません。
在宅中に強引に侵入することもありません。
ただ、叩き続けてくださる。
🚪 私たち一人ひとりの心の扉を。
そして、
「だれでも戸を開けるなら、わたしは入ってその人と共に食事をする。」
目的は願いを叶えることでも、
成功を与えることでもなく、
❤️🩹 交わりの回復。
共に食卓を囲む関係の回復です。
富の中で失われやすいもの
豊かさや自由の中で、
いつの間にか心が離れてしまうことがあります。
「神さま、これをください」
「この幸せを守ってください」
そう祈ることは悪くありません。
けれど主が求めておられるのは、
願いを叶える関係ではなく、
共にいる関係。
これが、この箇所の黙示(啓示)なのだと感じました。
黙示録は、単なる災いの書ではありません。
それは
回復の書。
春の空気を感じた今朝、
心のシャッターを少し上げてみようと思わされました。
御霊の実をいただく体験が、
その先に待っているのかもしれません。

