毎週のように参加している教会の牧師が夏休み休暇中に鎖骨を骨折、8月の礼拝は週替わりでメッセージをしてくださる牧師が変わることになりました。先週のメッセージの際に、鎖骨を押さえながら説教されていたので心配していたのですが、強い痛みを抑えてのメッセージだったようです。
8月最初の日曜日、7月にメッセージをしてくださった山田先生が再びメッセージされました。前回は「救い主と出会うということ」というタイトルで、親ガチャの話から始まり、ヒトに出会い、モノに惹かれ、コトに動かされて人生は編まれていくということ、天国への鍵を授けられたペテロの話から、サグラダ・ファミリアの事を思い出し、芦田愛菜さんが現地で彫刻家の外尾さんにインタビューをしたことに触れました。未完の世界遺産であるガウディの建築、そんなことを思い出した2週間後に再び同牧師からメッセージを聞くことになるとは。
今日のメッセージのタイトルは「真のイエスのお姿」『ルカの福音書』 9章28〜36節でした。ここで手術をすることになった牧師が数ヶ月前のメッセージを思い出しました。イエスは弟子たちに自分は誰なのか、神の子キリストとしての果たすべき使命を述べますが、弟子たちは混乱しました。その後、ペテロとヨハネとヤコブを連れて、祈るために山に登られます。山はイエスが弟子たちに大切なメッセージを伝える場所でした。御姿は変わり、本来の神としての姿を現します。光り輝いたイエス、イエスの神への姿戻り。
律法の代表者であるモーセと、預言者エリア、ペテロは慌てていたとは言え、旧約聖書の代表者のために三つの幕屋を建てると言いました。ここで思い出しました、この箇所は数ヶ月前に記事にした「キリストの変容(Transfiguration)」の箇所と同じです。その時は、マルコの福音書からでしたが、今回はルカの福音書からです:
「キリストの変容(Transfiguration)」はマタイ・マルコ・ルカのいわゆる共観福音書すべてに記されています。
- マタイによる福音書 17章1–13節
- マルコによる福音書 9章2–13節
- ルカによる福音書 9章28–36節
ただし、ヨハネによる福音書には直接的な記述はありません。ヨハネは代わりに、イエスの栄光の現れを他の場面(例えばヨハネ1:14「わたしたちはその栄光を見た」)で象徴的に示していると解釈されることが多いです。
要約すると:
ChatGPT5 2025.8.10
- 共観福音書(マタイ・マルコ・ルカ) → 直接描写あり
- ヨハネ福音書 → 直接描写なし(象徴的な言及はあり)
ペテロが三つの幕屋の話をした後、雲がわきおこって彼らをおおいました。雲の中から言う声がしました。「彼の言うことを聞け」旧約聖書では雲は神の栄光のしるしです。十字架の死によってもたらせる世界がある事をペテロは身も持って思い知らされます。弟子たちは沈黙を守り、この出来事は隠されました。聖書では山は神と人が出会う特別な場所として登場します。最初にサグラダ・ファミリアの塔を巡るツアーに参加した時、建築物を登る体験を通して、キリスト教に関する彫刻の神秘性と山的な象徴性を感じ取ったことを思い出しました。もちろん実際には人工建築ですが、宗教建築における高さや登る行為は山と似ていますね。毎週日曜に通っている教会の年間聖句は「私は山に向かって目を上げる」から始まる聖書(詩篇)の一節になっています。
登って行くのが人生の歩み。死の恐怖さえ味わった方が一緒にいてくれれば心強いですね。山に登る時やお出かけ時には、健康に十分、気をつけましょう!