泉鏡花「高野聖」を読んでみた
ある日曜日の朝、何気なく見ていたNHK俳句で、泉鏡花の名作『高野聖(こうやひじり)』が取り上げられていました。青空文庫でも読める作品ですが、今回は「現代語訳名作シリーズ」で刊行されているものを手に取り、思い切って通して読んでみることにしました。
予備知識ゼロでの読書スタート
本のカバーに書かれていた紹介文は――「旅する修行僧が、飛騨の奥深い山中で出会った艶かしい婦人との、奇妙で怖い体験を語る物語」。この一文に惹かれて読み始めました。
舞台はなんと私の故郷・福井。主人公の「私」が敦賀から若狭へ向かうくだりに興味を持ったのですが、読み進めると舞台は「松本」へとつながっていきます。「なぜ松本?」と混乱しつつ進めていくと、実はここから修行僧が語る“怪談”が始まる構造だとわかってきました。
「現実の旅」と「回想の旅」
この物語には二重の旅があります。
- 現実の旅 … 「私」が敦賀から若狭へ進む旅。
- 回想の旅 … その途中で出会った僧侶が語る、松本へ向かう怪談の旅。
二つの時間軸が入り混じることで、読み手としても「どちらの世界にいるのか?」と揺さぶられ、物語に厚みと不思議さが増していきます。
泉鏡花という作家
本の巻末には、作家・川北さんによる解説があり、これがとても助けになりました。泉鏡花は明治初期に金沢で生まれ、尾崎紅葉の『二人比丘尼色懺悔』に衝撃を受けて上京し、門下に入ります。その後、この『高野聖』をはじめとする妖艶で幻想的な作品を生み出しました。
美女に招かれ、艶やかなもてなしを受けながらも、常に死の影と隣り合わせ――。その描写は夢と現実の境界を揺らがせ、謎めいた余韻を残します。
芥川龍之介も絶賛
解説によれば、芥川龍之介は泉鏡花の作品を「日本語の達し得る最高の表現」と評したそうです。私も原文で挑戦してみようと青空文庫に目を通しましたが……正直、挫折しました。やはり現代語訳のありがたさを実感します。
まとめ
『高野聖』は、ただの怪談ではなく、幻想と現実が交錯する不思議な物語。舞台に福井県の嶺南地方の地名(敦賀と若狭)が出てくることもあり、個人的にも身近さを感じながら読むことができました。
気力を整えて、原文にもう一度挑戦してみたいと思いましたが、挫折…難しすぎます…
泉鏡花(2014)高野聖(理論社)
