お正月の三日間は、本当にあっという間に終わったのに。
そのあとの平日の四日間は、なぜかまったく「あっという間」ではありませんでした。
この感覚、実は初めてで、「なんでだろう?」と少し考えてみました。
これまでは、休み明けの仕事って、エンジンをゆっくり温めながらスタートする感じでした。
最初は低速ギア、徐々にスピードアップ、という流れです。
でも今年は違いました。
昨年末から職場に新しい人が一気に増え、年末年始でいったんブレーキがかかったあと、年明けと同時に全員がフルスロットル。気づけば、自分もその流れに巻き込まれていました。
仕事の合間を縫って歯医者に行き、年賀状をきっかけに久しぶりに同期と連絡を取り、気づけば夜まで公私ともに「やることリスト」を消化し続ける日々。
しかも、いくつかの「やり残し案件」も抱えたままです。
ここで、ひとつ面白いことに気づきました。
ぼーっとして過ごしても、時間はあっという間に過ぎます。
集中して取り組んでも、やっぱり時間はあっという間に過ぎます。
でも、
「こんなに時間が経ったのに、ほとんど何もできてないな…」
なのか、
「こんなに時間が経って、こんなに色々できたな」
なのかで、時間の“質”はまったく違う。
もしかしたら、充実していると時間の消費感覚が鈍るのかもしれません。
浪費ではなく、「蓄積」になっているから、重みを感じるのかな、なんて思いました。
そんなことを考えながら、日曜礼拝で牧師の話を聞き始めました。
アドベント、クリスマス、お正月と特別なメッセージが続いたあと、この日はまた「マルコの福音書」に戻ります。
12章13〜17節、ローマ皇帝への税金をめぐる場面です。
「皇帝に税金を納めるのは正しいのか、正しくないのか?」
パリサイ派とヘロデ党という、本来は水と油の関係にある人たちが、イエスを陥れるために手を組んで問いかけます。
背景がとても面白いのです。
- パリサイ派:律法に厳格で、ローマ支配に苦しんでいた
- ヘロデ党:ローマに取り入って権力を得ていた富裕層
立場は正反対なのに、「イエスを敵視する」という一点で一致していました。
ここでイエスが語ったのが有名な言葉。
「カエサルのものはカエサルに。神のものは神に返しなさい。」
一見、謎めいた言葉ですが、デナリ銀貨を見せて語ります。
その銀貨には皇帝の肖像と称号が刻まれていました。
つまりこの貨幣自体が、
「皇帝は神の子であり、最高権威である」
という思想を日常的に持ち歩かせる、ある種の“プロパガンダ”でもあったわけです。
イエスはここで、領域をはっきり分けました。
- 貨幣・税金 → 皇帝の領域
- 信仰・魂・礼拝・良心 → 神の領域
そしてこうも読めます。
銀貨には皇帝の像が刻まれているけれど、人間には神の像が刻まれているのではないか、と。
宗教指導者たちは、この言葉の前に沈黙します。
論破されたというより、霊的な権威の前に立たされた、という感じでしょうか。
メッセージの中で「ダブルスタンダード」という言葉が出てきました。
信仰生活と社会生活、二つの領域を生きる私たちの姿です。
国家のルールを守ることも大切。
でも最終的な優先順位は、
神のものが先、国家や制度はその次。
この緊張関係の中で生きることが、信仰を持つということなのかもしれません。
忙しさに振り回される一週間を過ごしながら、
「時間をどう使ったか」だけでなく、
「何を蓄積できたのか」を問い直すタイミングを与えられた気がしました。
時間が減ったか、増えたかではなく、
自分の内側に何が残ったか。
それが、今年の年明け一週間の一番大きな気づきでした。

