2025年10月下旬。先週の関東地方は、日曜日の午後からずっと雨が続き、朝晩は一気に寒くなりました。秋雨前線と冷たい空気の影響で、例年より雨の日が多く、強く降る日もあれば、しとしと長引く雨もありました。季節はすっかり「寒さ対策が必要な時期」に入ったと感じます。
今日は、いつも同乗している高齢の方が礼拝をお休みされたため、国道16号をそのまま一直線に走って教会へ向かいました。日曜日の午前中の国道16号は比較的空いていて、渋滞もなくスムーズ。いつもより30分以上早く到着しました。
礼拝開始までまだ時間がありましたが、すでに会堂には灯りがつき、聖壇の準備やオルガン前奏の確認、奉仕者の最終チェックが進んでいました。会堂には数名の信徒が静かに座っており、聖書を読んだり、祈っていたり、ただ黙って心を整えていたり。それぞれが思い思いに“礼拝の入口”の時間を過ごしています。
この静かな時間は、いつもの日常から少しだけ切り離されて、心を神へ向けていくための「静けさのドア」のようなもの。まだ礼拝は始まっていなくても、すでに礼拝が始まっている空気が満ちています。
今日のメッセージ
『子ろばに乗って』(マルコの福音書11章1〜11節)
イエスがエルサレムに入場する、十字架の前の最後の一週間の出来事です。弟子たちは、その重大さにまだ気づいていません。民衆の熱狂と華やかさだけが際立つ場面です。
イエスはエリコから「ベタニヤ(悩みの家)」を出て、「ベテパゲ(未熟なイチジクの家)」へと進んでいきました。旧約の預言を知っていた人々は「この方こそ預言の方だ」と感じたことでしょう。ベタニヤにはイエスと親しい人々もいたようです。
イエスは「まだ誰も乗ったことのない子ろば」に乗って都に入られました。これは戦いに臨む王ではなく、「平和をもたらす王」としての姿の象徴です。
しかし、城壁の外で熱狂した群衆とは対照的に、エルサレムの中では冷ややかな無視がありました。そしてイエスは十字架へ向かうことになります。
復活した主がおられる今は、昔のように祭司を通して“いけにえ”を捧げる必要はありません。神殿は神の住まいでしたが、今、私たちのいる教会もまた「神の宮」です。形式や場所に縛られず、御言葉と祈りを中心とした礼拝へと変わっていきました。
日本のプロテスタント教会は、荘厳すぎる雰囲気よりも「家庭的・親しみやすさ」を持つところが多く、初めてでも入りやすいかもしれません。カトリックとプロテスタントの違いについても、少しずつ理解が深まりますね。
カトリックとプロテスタントとの違いについては、少しづつ目が開かれた記事も参考いただけるかと思います。2025年10月26日の日曜礼拝にて。

