2025年8月の異常気象と教会の一段落
「2025年8月」は、日本にとってまさに“異常気象”と呼ぶべき1か月でした。多くの都市で最高気温が40℃を超え、全国的に広い範囲で猛暑に見舞われたのです。9月に入っても東京都心では猛暑日が3日続き、まるで夏の出口が見えないかのようでした。
ところが、奄美大島の東の海域で台風🌀15号が発生すると状況は一変。一気に気温が下がり、連日の猛暑日もようやく終了。長く続いた“灼熱の夏”に、ようやく区切りがつきました。
同じように「一区切り」といえば、私が通っている教会でも一つの出来事がありました。牧師が7月に骨折され、1か月間お休みされていたのですが、9月に入ってようやく復帰されたのです。
日本では夏休みといえばお盆を中心に1週間前後が一般的で、1か月も休むという文化はあまりありませんよね。でもヨーロッパでは「休暇は権利」として定着していて、年間4〜5週間の有給休暇が法律で義務付けられている国も少なくありません。
「夏=バカンス」というわけではありませんが、今回の出来事をきっかけに思いました。教会においても牧師が1か月ほど夏休みを取ること、むしろ自然で大切なことなのではないかと。
天に宝を積むということ
仮に自分が長い夏休みをいただいたとしても、やっぱり日曜日は教会へ行きます。今、多くの教会が日曜日に礼拝をささげている理由の中心には、イエスの復活が「週の初めの日=日曜日」に起こったという事実があります。
今日のメッセージは『天に宝』。聖書箇所は「マルコの福音書」10章17〜22節でした。金持ちの人が、イエスの「財産を売り、貧しい人に施しなさい」との言葉に非常に悲しむ場面です。このエピソードはマタイやルカの福音書にも出てきます。青年であり、役人(指導者)の立場にあった人物のようです。
この青年はとても謙遜で、ひざまずき、心からイエスを尊敬し、純粋に教えを求めました。「永遠の命を得るために何をすべきか」と尋ねた青年に、イエスはモーセの十戒のうち、人と人との関係に関わる後半部分を示します。青年は信仰深く律法を守り「すべて守ってきた」と答えます。しかし、行いを積み重ねるだけでは永遠の救いには届きません。そこでイエスは「財産を用いて貧しい人を助けなさい」と諭されたのです。
財産は自分のためにため込むものではなく、神と隣人を助けるために用いるもの。富を分かち合うことによってこそ「天に宝を積む」ことにつながるのだと教えられます。
礼拝が終わったあと、教会に生けられていた🌻ヒマワリ🌻が配られました。ヒマワリは夏らしくて元気をくれる花ですが、教会にそのまま残しておくと、高温が続くと2〜3日でしおれてしまうようです。だからこそ、何人かの方に手渡され「夏の終わりをヒマワリと一緒に過ごしてくださいね」との思いが込められていました。
自分の欲望ではなく、誰かの益になるかどうかを基準に考える。誰かの人生に残る影響こそが、本当の価値ある投資になるのだと思います。毎週日曜日に教会へ行くだけでは十分ではなく、自分の富や力が誰かを潤しているかどうかを問い続けたい。そんなことを強く心に刻ませるメッセージでした。